母が末期のすい臓がんになった話【余命半年の宣告から2年数か月戦ったことで思うこと】

日常
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それは突然のことでした。

2020年の令和2年の6月ごろだったと思います。私は28歳、母は62歳の時です。

父からの電話で「母がすい臓がんの末期で余命が半年しかない」と告げられたこと。

仕事の帰り、電車を待つホームでの突然の電話でした。

当時の状況として、父と母は実家・青森で住んでいますが、その時私は仙台で当時付き合っていた彼と同棲しておりました。

なんならこの彼のことで、仙台での同棲を母に反対され、縁を切るようなくらいの大喧嘩をし、その喧嘩をしたまま何の連絡もなく、私は仙台で彼と過ごしていました。

なのでそれ以来、母と口は聞いていない状態でした。

その時は、母に対して大喧嘩をして離れていたため、正直「あっそ」という最初の感情。

でもそれからは、やっぱり唯一の母・親の病気、そして頭の中に出てくる「余命半年=死」という感情。

気がつけば、“母がいなくなる未来” ばかりを考えて、涙が止まらない日が続きました。

ネットには治療法や薬の情報はたくさんあるのに、

「どう心を保てばいいのか」「何を準備しておけば後悔しないのか」

こういったリアルな話はあまり見つかりません。

だからこの記事では、私自身の経験から

  • 気持ちをどう落ち着かせたか
  • 実際に向き合った現実的な問題

この2つを中心にまとめています。

同じように誰かが苦しい最中だったら、少しでも心が軽くなように体験談として書きますので、良かったら参考にしてください。

りんご飴ちゃん

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気持ちの部分:心を保つために知っておきたいこと

がんは「特別な病気」ではなくなった

まず私が自分に言い聞かせたのは、

がんは誰にでも起こり得る病気だということ。

今や日本人の2人に1人ががんになる時代。

母が「選ばれてしまった」わけでも、私たち家族の生活習慣が悪かったわけでもありません。

“仕方ないこともある”

まずは、そう割り切りました。

余命宣告は「終わりの日時」ではない

母が伝えられた余命は“半年”

けれど母は、その後 2年3ヶ月 という時間を生き抜きました。

医師が示す余命は、医学統計の「平均」。

また、治療をしなければ半年ということだったので、治療してどの程度の回復が見込めるかは、ひとりひとりの生命力、生活環境、治療との相性、メンタルの強さ…などで大きく変わってきます。

また、同じすい臓がんでも、どのあたりにがんが広がっているのか、転移はあるのかなどなど、治療の末、手術可能になる場合もあります。

そのため、同じ病名や「〇〇がん」といえ、こんなに個人差があるのに、“期限”のように受け取る必要は無いなと思ったんです。

実際、「治療が効くタイプの人」や「奇跡と呼ばれる経過」をたどる方もたくさんいます。

希望は思っているより多い。

そう思えるようになったのは、病気になっても、わりかし最初の1年は元気いっぱいで生きていた母の生き方を見たからかもしれません。

仏教の考えが心を支えてくれた

特に私を救ってくれたのが、仏教の「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という教えでした。

  • すべてのものは常に変化し続ける
  • 形あるものはいつか変わり、消えていく
  • 老いること、病むことは自然な流れで、誰も逆らえない

花や木は綺麗に咲いた後、散り、やがて枯れ、土に還ります。

水もいつまでもそこにあるわけではなく、蒸発をしてなくなることや、腐り物体は無くなります。

自分の大好きな人、今でいう母親がずっと元気で老いることもなく、病気もなく、居てほしいと思うのは、もちろん当たり前の感情ですが、何事も常に変化し変わっていくことがこの世の中です。

何かに固執し固定し、ずっとそのままということはあり得ないことなんです。

「母がずっと元気でいてほしい」

これは、自分にとって思い通りに物事が動いてほしいという自分のただの願望、欲望です。

それは叶わぬことなんです。

人は必ず老い、病気にもなり、やがて死を迎えます。みんなそれは平等に来るもので、それが遅いか早いかの差しかないんだなと思ったわけです。

なので、「変わっていくこと」を受け入れると、不思議と心が楽になりました。

苦しいのは、変化を拒んでいるから。

そう思えたとき、母の病気も“運命として受け止める”という感覚に変化しました。

自分の感情を責めないでいい

とはいえ、そんな風にすぐに気持ちの切り替えができたわけではありませんでした。

親のがんは、想像以上に心を揺さぶります。

28歳の当時の私は、本当に悲しくて悲しくて、この先の未来が不安で、気が付けば毎日泣いていました。

  • なんで私の母が?
  • もっと早く気づけなかったの?
  • 私が何かできたんじゃないか?

そう思うのは自然です。でも、感情に「正解」はありません。

泣いても落ち込んでも怒ってもいい。

むしろ、そうやって心を外に出さないと潰れます。

悲しければとにかく泣きましょう

心許せる人に今の抱えている気持ちを話してもいいです。

何も考えずぼーっとする時間もあってもいいです。

自分の生活を保つこと” も大切です。

病院の帰りに好きなスイーツを買うだけでも、心が回復する瞬間があります。

現実的な部分:早めに向き合っておくべきこと

離れて暮らす子どもが抱える「戻るべき?」問題

気持ちの整理が少しできると、今度は現実的な不安が襲ってきます。

私は母と離れて暮らしていたため、最初に悩んだのは

仕事を辞めて地元に戻るべきか?

現実的には、この選択は簡単ではありません。

  • 今の仕事を手放し地元に戻り仕事を探す不安
  • 父母と一緒に住むには、生活リズムが違うためお互いストレスになること
  • 往復の交通費

ちょうど仙台でも、その当時自分なりに「やりがい」のある仕事が出来ていた矢先のことだったので、こういう場合は仕事を辞めて青森に帰った方がいいのか、すごく悩みました。

その時の状況は、青森では父がまだ働いていて、母はパートを辞めて専業主婦として過ごしていました。

私がもし仕事を辞めて青森に帰っても、仕事があるのか…?という問題。

パートやアルバイトで職種を選ばなければそれはどこにでも仕事はありますが、

母のことを身体的にも精神的にも、また金銭的にも支援するには、

自分に合わない仕事をしてまで青森に帰って、逆に自分が精神的に追い込まれないか?とよぎりました。

また、いくら家族とはいえ、昔とは違い、それぞれの生活リズムが違うこと。

一緒に暮らすことで、お互いがお互いにストレスを抱えてしまう可能性がありました。

そのため、父と母と話し合って、結局は「あなたにはあなたの生活があるんだから、無理して青森に帰ってくる必要は無いよ」となりました。

そのため、仙台で仕事をしつつ、2か月に1度、3日間くらい青森に帰省する生活が続きました。

正直、本音は近くで誰かいて欲しかったんじゃないかなと、今では思います。

ただ、「私が全部やらなきゃ」と思うとつぶれます。

それに実際、皆それぞれの生活があるのは確かなので、無理をしてまで何かを変えてしまうと、どこかで不満が爆発し、母の支援どころの騒ぎではなくなるため、この選択で良かったかなと思ってはいます。

家族や周囲の人に、早めに「自分にできる範囲」を共有することが大切です。

治療の選択肢と、“治る可能性だけ” を見ないこと

すい臓がんは治療が難しいといわれるがん。

でも、それでも治った方もいます。手術できる例もあります

実際、私の母の場合は、抗がん剤治療を始めても、約1年ほどは「本当に病気なの?」と思うくらい元気に過ごしました。

副作用の吐き気や抜け毛もなく、なんの副作用もなく、本当に元気でした。

副作用を心配して、病院から医療用ウィッグも購入して準備していたのですが、最後までびっくりするくらいの毛量のままでした。

それぐらい、がん治療というものは個人差があるんだなと思いました。

なので私の母の場合は、良くも悪くも2年数か月生きることが出来ただけで、同じすい臓がんステージ4でも、もっともっと沢山長生きする方だっています。

なので、この記事を読んで、「2年しか…」なんて思わないでください。

ただ、それと同時に希望は持ちつつ、“もしもの時”を考えておくことは親のためにも自分のためにも大切だということは伝えておきたいです。

勿論、すぐに「もしもの時」のことを考えろ、なんて言いませんが、治療方針や家族でのサポート体制が決まってきて、心の面が十分に落ち着いてからでいいと思います。

医師と話す時は、以下のようなことを聞いておくと後悔が減ります。

  • 治療の目的(延命?完治?)
  • 副作用
  • QOL(生活の質)の変化
  • 在宅医療の可能性
  • 緩和ケアの開始タイミング

「何を大切に生きたいか」も、家族で共有しておくと決断が楽になります。

親が亡くなった後のことを“今から”考える理由

不謹慎だと思う人もいますが、病状が安定している時こそ、冷静に準備できます。

私は以下のことを整理しました。

  • 銀行口座
  • 年金や保険
  • 支払っている途中のローンなどはないか

幸いと言えばいいのか、病気になる前から母は「もしもの時」のことについて、話してくれていて、銀行口座の場所や、保険の証券の場所など、私は知っていたんですね。

それはもう、私が中学生くらいの時から「もしもの時」は、ここに必要な書類が全部入っているから、といって聞かせてくれていました。

そういうことを若い時から話していたのもあり、気まずいような暗い空気になることもなく、むしろ母の方から上記のことを話してくれたので助かりました。

主に確認したのは、母が一人でずっと管理していたお金のこと。

うちの父は全くそういうお金の管理ができないような人だったので、そのあたりは最初、確認して父にメモを書いて覚えてもらいました。

家賃や電気・水道の引き落とし口座はこれ、とか。

まだ支払い途中のローンはないか?とか。

また、契約している生命保険・医療保険についても証券や補償内容などを確認もしました。

母が亡くなる数か月前あたりからは、緩和ケア病棟に移り、母も身動きが取れなくなってしまったので、本当に事前にこういう確認はしておいてよかったと思っています。

緩和ケア病棟に入院してからは、私が医療保険の申請のため、病院に書類を取りにいったり、保険会社に書類を提出したりとしていたので、何も分からないままだったら大変だったろうな…と思っています。

葬儀・宗派・お墓のことを確認しておく

いざという時、家族がパニックになるのがこの部分。

  • どこにお葬式を頼むのか
  • 宗派
  • 葬儀はどの規模でやりたいか
  • お墓に入りたいのか、納骨堂がいいのか
  • 家族葬 or 一般葬

これらを“元気なうちに”聞くのは勇気がいりますが、親にとっても 「自分の想いを伝えられる安心」 につながります。

このあたりも、うちの場合は変わっていて、本当にまだまだ元気な時から、葬儀の意向などは聞いていたので、改めて確認する程度で終わりました。

もともと母が契約して積み立てていた葬儀会社もあったので、亡くなってからは葬儀会社に電話して、あとはもうお任せ。

といった感じで、元気な時から自分の最後で迷惑をかけないように徹底していた母には、尊敬というか頭がいいというか、、流石だなあと思いました。

そして、これは一番見落としがちなので、最初に聞いておいて欲しいのですが、

どちらの宗派でお葬式をしますか?

ということ。

なかなか普段暮らしていて「うちって何の宗派だろう?」と考える機会も無いと思いますが、亡くなって葬儀会社にご遺体を運んでもらい葬儀会場などに安置してもらい、そのあと、わりとすぐの段階で聞かれるのがこれです。

「どちらの宗派ですか?」と。

はい、これは流石の母と私も確認していませんでした。。。

確認していなくても、親戚などに聞けば分かる人もいると思うんですが、うちの場合、家族や親戚のゴタゴタもあり、聞くに聞けないような状況。

葬儀会社の方に、事情を話し、ちょうどスケジュール的に空いているお坊さんに頼むことになり、その宗派になりましたが、この辺はあらかじめ確認しておいた方がいいです。

宗派が違うとなんかダメなの?

属している宗派で行ってもらうのが一番良いですし、何より、お葬式などで親戚などが来てくれた際に「あのお経、うちの宗派じゃないよね?」と突っ込まれ、トラブルになることもあるそうです。

(うちの場合は家族葬だったので、そういうトラブルにはなりませんでしたが…)

今、冷静になって思いますが、私のように母の親戚に聞けないなあ…という場合は、

祖父や祖母など、いつもお経をあげてもらっていたお寺の場所を覚えていたので、そのお寺をグーグルマップで検索して、「〇〇宗 お寺」と記載があると思うので、それを見れば良かったなあと後悔しています。

お金のことも、ざっくりでいいから知っておく

  • 葬儀費用の相場
  • 医療費(高額療養費制度の活用)
  • 緩和ケアの費用
  • 遠距離介護の交通費
  • 実家の維持費

知っておくだけで、心の余裕が大きく変わります。

<最後に:経験者として伝えたいこと>

親のがんは、“死” の話ではなく“生き方”の話

母と過ごした2年3ヶ月は、

悲しみだけではなく、たくさんの気づきもくれました。

  • 普通の会話が愛おしくなる
  • 小さな外食が宝物のように思える
  • 家族の絆が深まる
  • 生きることの意味を考える時間になる

病気はつらいけれど、それだけの時間ではありません。

今を大切にすることの尊さ

親のがんと向き合う日々は、覚悟も涙も必要です。

でも同時に、人生で一番“人を大切にできる”時間でもあります。

また、自分がいま生きていることの尊さを、実感して感謝することができる経験でもあります。

生きていると色んな不満や欲望に支配され、大事なことを忘れてしまいます。

  • もっとお金が欲しい
  • あの人よりきれいに若くいたい
  • もう少し役職ある地位に就きたい
  • もっと広いおうちに住みたい

など全てが、今ここに何事もなく過ごせて生きていることの当たり前の尊さを忘れ、自分のさらなる欲のための感情に支配されています。

親の病気ということに直面して、今、自分が普通に生きていることは、いくつもの偶然と奇跡、そして周りの人に生かされて生きていることに感謝して生きなければいけないことを勉強させてもらったと思います。

あと、もし治療の末、亡くなったとしても、その人自体はいなくなって見えなくても、思い出や気持ちなどはすべて自分の中に残りますよね。

また、親という存在は、そうして人生の最後まで、子供に「こうやって老いて病気になり、亡くなること」を身をもって教えてくれているんです。

なので、悲しい気持ちはありつつも、その人との思い出はずっと残るわけですから、一日一日を大事に感謝して生きていこうと強く、思っていただけたらと思います。

ただ、こう思えたのも母が亡くなり2年も経って、すべて終わってからだと思うので、本当に泣きたい時は泣いて、耐えきれないと思ったら誰かに気持ちを話したりして、自分の心を大切にしてあげてくださいね。

この記事を読んだ方が、今より少しだけ心穏やかに、親との時間を過ごせますように。

おまけ

普段は、東北(宮城)を中心に観光地モデルコースや、デートモデルコースを紹介しています。

息抜きに家族で、仙台観光や旅行を計画する際に参考にしてみてください。

母の死から2年経ち、月山8合目で先祖供養もかねて行ってきた話はこちら👇

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